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 里地域は、 小樽の中では比較的早く、江戸時代の末期に拓け、明治初期には小さな村落となっていました。他地域と同様、朝里もニシン漁で活気が生まれ、徐々に山の上地区の方に畑作農家などが広がっていきました。
 樽の 東部地区の熊碓、朝里、張碓、銭函は昭和15年8月31日まで農漁業を基幹産業とする独立した自治体「朝里村」でした。村役場は朝里にあり村議会がもたれていました。
 樽市と合併になった朝里ですが、戦後少しずつ都市化が進み、望洋台地区の開発などもあり地域全体が住宅地へと変貌していきました。
 和20年代には、小樽唯一の温泉街、朝里川温泉が誕生。小樽保養の奥座敷として人気を得ました。その後、同温泉は、盛衰の波を乗りこえて、平成に入って再び活気をとり戻しました。

 んな中、朝里(小樽)と定山渓(札幌)を結ぶ、小樽定山渓線(道々1号線)の改良工事が進み、平成12年4月21日に、冬期を含めての通年開通が実現することとなりました。
 治9年、美泉定山和尚が同線開通を夢見て測量作業をして以来、124年が経過しての快挙でした。
 里川温泉組合の有志、地域の活動家などは、これを朝里の町おこしの絶好機と考えました。それに、統一地方選で初選出となった地域の市会議員や、まちづくりに気持ちを寄せる有志たち、ヤマベ放流を十数年継続していた「ふる里の川づくりの会」のメンバーが中心となり「小樽・朝里のまちづくりの会」は平成11年5月19日に発足しました。